講師ブログ

2019/09/10

ベネチア国際映画祭

毎年この時期にイタリアで行われるベネチア国際映画祭。

15年前のこの映画祭に、自分が参加出来たことは、私の人生の中でも上位にくるビッグイベントだ。

塚本晋也監督の作品にヒロインとして出演させて頂いた。

その映画がベネチア国際映画祭に招待された。

塚本監督、浅野忠信さん、kikiちゃんとともに

ベネチア国際映画祭に参加した。

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知人である映画・舞踊評論家の小張アキコさんから連絡を頂き、

「今年は塚本晋也さん、審査員をします。」

と教えてくれた。

やはり、立派な方だ。

そして、夕刊フジにベネチア国際映画祭のことを連載するので、当時のことを聞かせて欲しいと言われた。

(ちなみに、小張アキコさんとは、私がパリに2ヶ月程、短期自主留学している時、受けていたバレエクラスのピアニストをされていた方に紹介されて、知り合いになった。

人と人との出会いは何処にあるか分からないもの。

余談だが、パリでは、様々なオープンクラスを受けたり、オペラ座のバレエの舞台色々観たり、ルーブル、オルセーなどの大きい美術館からロダン、ピカソ、ギュスターヴモローなど、あらゆる美術館を巡りまくった。)

 

当時のことを記憶をたぐって、色々思い出して、小張さんにお話しした。

色々思い出したので、これを機会に、ブログにも当時のことを書こうと思った。

 

 

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成田空港、塚本監督とkikiちゃんとスタッフの方数名と待ち合わせして、飛行機でベネチアへ向かった。

ベネチアに着いてから、映画祭を行う会場まで(リド島というところ)、水上タクシーで向かった。

もう夜で、沢山の星がすごく綺麗だった記憶がある。

リド島で、kikiちゃんと私と、数名のスタッフの方は、個人の一軒家にホームステイする形で滞在した。

ここの家のご夫婦がとても温かく良い方で、おうちも可愛らしくてかなり素敵な場所だった。

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滞在は確か6日間程。

取材や写真の撮影などがあったり、

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美味しいイタリアン食べたり、

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素敵な街並みを散策したり、

アクセサリーのお店覗いたり、

ジェラート食べ歩きしたり、

映画祭で上映されている映画を観に行ったり。

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印象深かったのは、ベネチアでの、塚本監督の知名度の高さ。

とにかく、すごく人気者だった。

街を歩いていても、カフェにいても、レストランで食事していても、皆が、塚本監督に声をかけてきていた。

別の映画だけど、塚本晋也さんが俳優として少しでも登場しようものなら、会場が大歓声で沸いていた。

 

ベネチア滞在中、私は25歳の誕生日を迎えたので、ホームステイしていたおうちで、パーティーをしてくれた。

監督、浅野さん、kikiちゃん、皆がお祝いしてくれて、とても幸せだった。

イタリアの家庭料理も頂き、自家製パスタの美味しさに感動。

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ヴィタールの公式上映の日、正装をして、皆で上映会場に向かった。

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途中、同じく映画祭に参加されていた一青窈さんが大きく手を振って見送ってくれていた。

会場に入る手前で、その年の審査員長のイギリス人監督の方が、私に携帯を見せてくれた。

そこには、涼子(私の役名)が砂浜で踊っているところの写真。

驚いた。

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それから会場に入ると、大歓声。

出演の浅野さん、kikiちゃん、私と、出演者の名前がコールされ、

最後に塚本晋也さんの名前がコールされて、

ひときわ大きな歓声が上がった。

ベネチアの映画祭で、自分が出演した映画を観るというのは、現実とは思い難い出来事だった。

夢を見ているような感覚を思い出す。

上映後は、拍手喝采の中、沢山のフラッシュ。

目の眩むような感じ。

もう15年も前のことなのに何となくその感覚を覚えている。

 

 

 

公式上映という大仕事を終えた後は、また、自由にベネチアとリド島を散策した。

今度は、街の人に「Nami!!」って声かけられたりして、私の名前まで覚えたの?って驚いた。

 

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ベネチア最終日は、監督と浅野さんとスタッフの方々と、農家の一軒家がやっているレストランで食事した。

そこでは、その畑のとれたての野菜だけを使ったイタリアンを出してくれる。

美味しくない訳がない。

美味しい食事と、のんびりした風景の中、

ゆったりくつろぐ浅野さんと、監督と、通訳のイタリア人の方と、ふざけ合って遊んだような記憶がある。

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帰りのベネチアの空港では、ハリーポッターの映画の監督さんがいて、挨拶を交わした。

 

帰りの飛行機では、塚本監督と隣の席だったので、軽く乾杯をして、ベネチアの旅を締めくくった。

 

ベネチアのお土産は、映画祭中に毎日発行されるフリーペーパー。

そこに私が踊っている写真が掲載されていたので、何枚かもらってきた。

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と、ここまでがベネチア国際映画祭の思い出。

久々に写真を引っ張り出して見ていたら、当時の細かい思い出も色々蘇ってきた。

 

 

 

ベネチアは、本当に本当に、良い思い出だ。

 

 

小張さんが8月29日の夕刊フジに、私の映画祭のエピソードのひとつを載せてくれたので、何部か買ってきた。

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そういえば以前にこのブログに「バレエを辞める覚悟をした時のこと」と題して、

塚本監督の映画に出ることになった経緯を書いた。

その後の撮影やダンスの練習の思い出も書こうと思いながら、

2年以上経ってしまい、

先に映画祭のことを書いたので、

次の機会には、撮影時のエピソードも書きたいと思う。